鳥肌が立つ瞬間
曲の山場で背筋がぞくっとする。胸がいっぱいになり、涙が出そうになる。演奏会の感想を言葉にするとき、音の印象と一緒に、こうした体の感覚が思い浮かぶことがあります。研究では、その瞬間の自己申告を、脳画像や心拍、呼吸などの記録と照らし合わせてきました。客席で起きることを、聴き手の側から眺めてみます。
「鳥肌」と呼ばれる反応
ここでいう鳥肌は、音楽を聴いたときのぞくぞくする感覚や身震いを指します。2017年のScientific Reportsに掲載された研究も、鳥肌や震えにあたる反応を「chills」と呼び、涙が出る、喉が詰まるといった反応と分けて扱っています。「感動した」という一言の内側を、もう少し細かく調べるための区別です。
2001年にPNASに掲載されたマギル大学の音楽による鳥肌と脳血流を調べた研究では、聴き手自身が、背筋がぞくっとするほど快く感じる曲を選びました。研究者はPETという脳画像の検査法で、聴いている間の脳血流を測定しています。鳥肌を感じたという報告には、心拍、筋肉の活動、呼吸の変化が伴いました。本人の言葉と体の記録の両方を見ている点が、この研究の出発点です。どの曲を聴くかは、その人にとって強く快い体験になることを手がかりにしています。選曲にこうした条件があることも、結果を読むときの前提です。
快さにかかわる脳の領域
同じ2001年の研究では、鳥肌の強さが増すにつれて、報酬や意欲、感情、覚醒にかかわると考えられる脳領域で、血流の増減が観察されました。覚醒は、ここでは気持ちや体の反応の高まりを指します。変化が見られたのは、腹側線条体、中脳、扁桃体、前頭部のいくつかの領域です。脳全体が一様に活発になった、という説明ではありません。
著者らは、これらが食べ物などの強い快さにかかわる刺激にも反応する領域であることを挙げています。音楽と、それ以外の快い体験が、快さや報酬にかかわる脳の回路を共有しているという解釈です。ただし、測ったのは選ばれた曲を聴く間の変化です。ある曲の価値を脳画像で採点したり、演奏の優劣を決めたりする結果として読むものではありません。
山場を待つ時間と山場そのもの
2011年のNature Neuroscienceに掲載されたマギル大学の期待する時間と感情の頂点を分けて調べた研究では、PETに加え、同じ曲と同じ聴き手を対象に、脳の働きの時間的な変化を見るfMRIが使われました。山場を予期している間には尾状核という領域が、強い感情を経験する頂点では側坐核という領域が、より深くかかわっていました。PETでは、感情の高まりが頂点に達したとき、線条体という領域で、脳内の物質の放出も捉えられています。音楽を聴く時間を一まとめにせず、期待から頂点までの経過を調べているのが特徴です。
どちらも音楽を聴いている時間ですが、これから来るものを待つ段階と、快さの頂点を経験する段階には、脳の働きの違いがあったわけです。音が出る前に目を向ける聴き方を考えるときにも、待つ時間そのものが研究の対象になる点は興味深いところです。ただし、この研究は指揮の予備動作を見た影響を測ったものではありません。客席での聴き方と結びつける際には、その範囲を越えないように読みます。
鳥肌と涙はちがう反応
大阪大学などの研究者による2017年の鳥肌と涙を比較した実験では、鳥肌を自己申告したとき、皮膚の電気的な反応と、本人が感じる高まりが増していました。一方、涙の反応では、心拍が速くなる間にも呼吸はゆっくりになりました。どちらにも快さと深い呼吸が見られましたが、体の記録は同じ形にはなりませんでした。聴いた曲への感情と、呼吸の速さや心拍の変化を、別々に記録しているからこそ見える違いです。「悲しい」と感じた曲にも快さが伴ったという結果は、曲の印象と体験の快さを、それぞれ確かめて読む必要があることを示しています。
曲の受け止め方にも違いがあります。鳥肌を伴う曲は楽しくも悲しくも感じられ、涙を伴う曲は悲しく、鳥肌を伴う曲より穏やかだと受け止められました。著者らは涙に伴う反応を心身が静まる性質のものと捉え、さらに研究が必要だとしています。ここでいう穏やかさは、実験で見られた反応の特徴です。日常の不調に対する効果へと広げた説明ではありません。
客席で体の反応がそろうとき
一人ずつ脳を調べる研究に対し、演奏会場で複数の聴き手を測る研究もあります。2021年のScientific Reportsに掲載された弦楽五重奏の客席で生理反応を記録した研究では、三日続けて異なる聴衆を迎え、心拍と呼吸、皮膚の電気の通しやすさ、顔の筋肉の反応を調べました。聴き手同士で記録の変化がどの程度そろうか、という見方です。ここでいう同調は、全員の心拍数が同じ数字になることを指しているのではありません。記録された変化が似ているかを、聴き手の間で比べています。
反応が強くそろった場面には、覚醒の高まりに特徴的な様子がありました。親しみがあると評価された古典派とロマン派の作品では、速いテンポが高い同調の手がかりになりましたが、なじみが薄いと評価された現代作品では、同じ関係は見られませんでした。どんな曲でも、速ければ反応がそろうという結果ではありません。
三日間の聴衆すべてで反応が強くそろったのは、曲の移行部分、区切り、フレーズの繰り返しといった、構造上の大切な場面でした。客席の記録を、曲がどこへ進んでいるかという流れと重ねた点が特徴です。ただし、体の変化が似たことと、全員が同じ情景を思い浮かべたり、同じ感想を持ったりしたこととは分けて考えます。測定が扱うのは、記録された反応の重なりです。
同じ部屋で聴くということ
2026年のScientific Reportsに掲載された、ブリストル大学とバース大学の生の演奏と同時中継を比較した研究は、ジャズとクラシックの二つの演奏会を対象にしています。参加者296人は来場時に無作為に分けられ、演奏する空間にいるか、別室で専門的に撮影された同時中継を観るかの、いずれかを経験しました。自宅の画面と会場を比べた実験ではありません。参加者が好きな聴き方を選んだのでもなく、来場してから割り当てられています。演奏する空間にいるか、別室の映像を観るかという条件を比べたことが、結果を読む際の前提です。
演奏する空間にいた群は、質問紙で没入感をより強く報告し、その演奏者をまた聴きたい、会場にまた来たいという意向も高くなっていました。心拍の変化が聴き手同士でそろう度合いも、統計上、有意に高いという結果でした。これは二つの演奏会での比較です。映像では同じ体験が決してできない、という結論に広げることはできません。
また、生の演奏体験については、座席位置が影響するという証拠は得られなかったと報告されています。中継では、映像の視点が体験にかかわっていました。質問紙で捉えた体験全体の評価は、ホールと音響で扱う座席ごとの音のバランスとは区別して読む必要があります。どの席でも音響が同じだと確かめた結果ではありません。
研究を読むときの注意
選んだ音楽を聴く実験、三日間の弦楽五重奏、二つの公演での比較は、対象も場面も異なります。本人が感じたこと、脳画像、体の測定値も、それぞれ別の記録です。鳥肌の研究結果をそのまま涙の説明にしたり、客席全体の同調から一人の気持ちを決めたりはできません。特定の参加者と条件で何が観察されたかを、順に確かめる読み方が必要です。
これらは音楽を聴く間の反応を調べた研究で、健康への効果を示すものではありません。鳥肌や涙の有無を、自分の鑑賞の成否を判定する物差しにする必要もありません。山場そのもの、そこへ向かう時間、同じ空間にいる聴き手の反応——研究が照らしているのは、演奏会という体験の、それぞれ異なる一面です。
